さつま通信

2011年6月9日木曜日

第7章003:オレンジビーチ - スリーデイズメイビー

 徹底した遅滞行動を取るための狙撃戦が始まった。地区隊兵士達は練達の狙撃手揃いで、有効射 程ギリギリの距離で敵兵の頭部や胸部の中央を正確に一撃で捉えた。

 あちこちに頭部を撃ち抜かれたヘルメットが転がり始めた。一人が倒されると敵兵はやみくもに応射し、後方の迫撃砲に連絡して弾幕を被せてきたり、肩撃ち式の対戦車砲で瑠弾を発火点へ撃ち込んできたりしたが、地区隊兵士達は狙撃後に素早く移動しては別のポイントに位置して次の機会を狙うために損害は軽微だった。

 小銃の照門と照星を結ぶ線の延長上に捉えた敵のヘルメットの真ん中へ、青山少尉も大場伍長も正確な射弾を乾いた銃声と共に慌てることなく冷静に送り続けた。

 敵がむやみやたらと弾丸のシャワーを浴びせかけてくる間は、洞窟陣地の僅かな開口部からやや奥に退がって飛び込んでくる跳弾に注意しながらじっと待つ。

 しばらくの沈黙の後で、再び前進を始めた敵を、素早い入り口への移動と正確な姿勢保持で狙撃してまた撃ち殺す。

 敵の近接によって彼我の距離が縮まれば縮まるほど、ヘルメットを撃ち抜く手応えは確かになり、倒された多くの戦友を置き去りにして敵がいったん退却すると、今度は遺棄死体をボディバッグに回収にくる部隊を狙うべく、狙撃位置を再び変えて射線が交差するように陣容を整えてから待機した。、敵はどういう状況下でも必ず遺体を回収しようとする。この習性を利用するために、遺棄死体に手早く仕掛爆弾を設置し、遺体を引き起こせば手榴弾や布団爆雷や棒地雷が連鎖して爆発するように罠を迅速に設置するのも重要な作業だった。

 大場は、戦友と一緒に遺棄死体を仰向けに起こした時に敵の若い兵士の死顔を見た。血管が透けて見えるほどの抜けるように白い肌が眉から下だけは赤く日焼けしている。少し空いた口元からは白い歯が覗き、プラチナブロンドのカールした髪が額に少しまとわりついていて、落ちたヘルメットの周囲には血溜まりができていた。

 大きく見開かれたままの青い瞳は、まるで今にも瞬いて何か話しかけてくるかのようで、思わず大場は瞼に指をかけて優しく彼の瞳を閉じてやった。

 こんなに間近で白人の顔を見るのは初めてだった。俺と同じでまだ若い。そして、俺と同じように故郷へ帰りたかったに違いない。戦争じゃなければ友達になれそうな奴なのに。

 許せよ。大場はそう思いながら、戦友と協力して敵兵の下に手早く爆雷を仕掛けてから陣地へと退がった。

 射撃姿勢を取って待機に入ると、小銃を握る手から微かに血の匂いがした。敵兵の遺体にふれた作業で付いたものに違いない。大場は水筒から僅かの水を口に含むと手に吹き付けて洗った。不意に爆雷を仕掛ける前に見た青い瞳が浮かんできて、何かやりきれない思いが胸に突き上げた。

 俺はおまえが憎いわけじゃないんだ。ただ、おまえ達を本土へ上げるわけには絶対にいかないんだ。俺は俺の故郷を護るよ。倒されるまでのおまえも、きっとそういう気持ちだったに違いない。

 先頭に立つ水陸両用車のエンジン音が響いて、一隊の敵がやって来るのが待ち伏せる地区隊兵士の視界に入った。

 一斉に小銃に装填する金属音が響いて、各兵士は射撃体勢に入った。仕掛け爆弾が爆発したら正確に狙撃する、一人たりとも逃がさないで。

 停止した水陸両用車が車載機銃で遺体の手前を一連射した。腹に響く重い発射音が轟く。仕掛け爆弾を警戒しているらしい。もう一連射。遺体は沈黙したままだ。匍匐してきた指揮官らしいのも発砲した。やはり爆発しない。水陸両用車が微速前進を始めた。敵兵は匍匐をやめて、小腰を屈めた姿勢でやや展開しながら装甲車両について進んできた。

 もう少し引きつけよう。近くへ来い。あと少し近づいて来い。おまえ達の青い目玉がよく見えるまでこっちへ来い。

 大場は指揮官らしい兵士のヘルメットに狙いをつけて、青山少尉の発砲命令を待った。

「撃て!」

 号令と同時に鋭い乾いた発射音が連続して起こった。どさりと音がして敵兵が膝を着き前のめりに倒れ伏す。あるいはヘルメットをはじき飛ばされて仰向けに倒れる。数名の兵士達が瞬時にヘルメットや胸の真ん中を撃ち抜かれて動かなくなった。

 「誘爆させろ!」誰かの声が響いた。遺棄死体へ向けて数発の手榴弾が投げられ、まもなく伏せたまま応射中の敵兵と援護の水陸両用車の銃撃音をかき消すように遺体は爆発して周囲の敵兵を一気になぎ倒した。

 無線機を担いだ通信手の横で、生き残った兵士がマイクを手に大声で叫んでいる。後方の迫撃砲陣地へ座標を知らせ、ここへ弾幕を被せてくるつもりだ。

 随伴歩兵の大半を倒された水陸両用車は気が狂ったように車載機銃を撃ちまくっている。操縦用の小さな窓を狙っても効果は望めないし、手榴弾で始末できる相手でもない。それより何よりわが方には歩兵用の携帯式対戦車砲がない。もうすぐ迫撃砲の弾幕も被されることだし、ここは陣地の奥へと急いで退避するしかない。そう判断した青山少尉は、撃ち方やめをかけて陣地内へ部下を後退させた。

 まもなくシュルシュルという嫌な落下音が耳に響いてきて、辺り一帯に迫撃砲弾が落ち始めた。水陸両用車は生き残りの随伴歩兵を伴ってみるみる後退していく。今の戦闘で倒れた敵兵達にも容赦なく砲弾は降り注ぎ、彼らの体は高く吹き上げられ、引き裂かれて散乱していった。

 風の向きが変わり、大場達が退避した陣地内にも硝煙の匂いに入り交じって血の臭いが濃く流れ込んでくる。大場は退がった陣地内の僅かな岩の隙間から、敵兵の腕や足や頭がちぎれて転がる様子を見つめていた。

 これが収まれば敵さんはまたやってくるだろうか?あいつらは無尽蔵に持っているとしか到底思えない弾を噴水のように振りまいてくるし、少しでも自分達が不利になれば迫撃砲や戦車や飛行機をすぐに呼び寄せることができる。島の沖合に雲霞の如く停泊中の艦船群に要請しての艦砲射撃もお手のものだ。

 手強い奴らだなと大場は思った。まともにぶつかったらアッという間にこっちが死体の山になってしまう。やはり、中川地区隊長殿が示されたとおりに、可能な限り大規模な攻撃は避けながら、小人数での確実な攻撃を繰り返して極力長い期間を持久するしかない。

 しかしなぜ、連合艦隊は助けに来てくれないんだろう?海軍はペリリューへ差し向ける軍艦を全然持たないんだろうか?沖合にゆうゆうと停泊して海を埋め尽くすように見える敵の艦船を、どうしてまとまった数の飛行機でやっつけないんだろう?この島のために動かせる船も飛行機もろくにないのか?

 青山少尉殿が言っていたように、これが敵との物量の差というものなんだろうか。やはり日本は勝てないのか?悔しいけど奴らには勝てないのか?

 大場は、日頃から意識の隅に無理に追いやって、なるべく考えないように努めてきた重苦しい不安に心を鷲づかみにされたようで気が滅入った。さっきまでの戦闘で、瞳をこの手で閉じてやった若者の姿は、明日のわが身なのかと思うと、戦場のはかなさに胸を押し潰されるような気がして辛かった。

 迫撃砲の弾幕がいつしか止むと、また微かなエンジン音が聞こえてきたような気がしたが、それは珍しくやってきたスコールの前触れだった。雷が鳴り始めたと思う間もなく大粒の雨が音を立てて大地を激しく叩き始め、死者達が流したたくさんの血を洗い流して、僅かな涼気を戦場にもたらすのだった。

 各洞窟陣地では、岩の割れ目から流れてくる雨水を大急ぎで各自が水筒に詰め、容器に受けては飲料水貯蔵用のドラム缶へと注ぎ入れた。洞窟にこもって戦う地区隊兵士達には、文字どおりの干天の慈雨で全員が生き返ったような思いになり、士気はとみに揚がった。

 大場もまた、飯盒の蓋で受けとめた雨水を何度も飲み干すと大きく息をつき、監視任務を交替すると洞窟の奥へと退がって、所定の場所へ横になるとすぐに眠りに落ちた。

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