さつま通信

2011年6月2日木曜日

第7章002:オレンジビーチ - スリーデイズメイビー

 青山少尉は、唯一人生き残った大場伍長と共に、飛行場からやや中央高地帯寄りの坑道陣地を縦横に駆け回っては敵の意表を突く攻撃を執拗に仕掛けていた。

 各中隊の本部には糧秣がまだ一定量確保されていて、指揮下に入った中隊の本部から少尉達は糧秣や弾薬の給与を受けることができた。

 合流からほどなくして、それぞれの原所属部隊が壊滅した兵士達を再編制して青山少尉が指揮することになったが、少尉はこれまでにある程度の損害を遊撃的手法で敵に与えたことから、今後は良好な火点からの必中の狙撃によって敵の前進を遅滞させ、将校と通信手を重点的に倒して指揮系統を混乱させることを目標とした。

「大場伍長 今宵は恩賜の酒を酌もうか?」
司令部での将校会同を終えて、武器手入れも済んだ後で青山少尉は大場に話しかけた。

「はい 自分は下戸ですのでサイダーでおつきあいさせてください」
伍長が困ったように答えるとすっかり日焼けした少尉の顔がほころんだ。

「へえ 飲まないのか そういえば大場が飲んでいる姿は一度も見たことがなかったなあ」
楽しそうに少尉は言って白い歯をのぞかせた。

「島の子達とよく遊んであげてたね」

「はい」

「大場にもあの子達くらいの小さな弟がいるんだろう?」

「はい もう亡くなりましたが」

「そうか。じゃあ あの子達の中にきっと、弟さんも帰ってきて一緒に遊んでたんだろうな」

「大場は優しい兄貴なんだね」
少尉はそう続けると陶器の湯呑みをゆっくりと傾けた。

 二人は洞窟陣地の奥まった一角に腰を下ろしていた。ランプの薄暗い灯りがゆらめいて時折通っていく兵士達の影を壁に映し出している。

「少尉殿はまだお一人ですか?」
大場は、初めて間近に見る鉄帽や戦闘帽を取った青山の若々しい表情を見つめながら聞いた。この人は自分と同世代なんだな。日頃はほとんど言葉を交わす機会もなかったけれど、今はもう生き残っているのは二人だけだ。

「うん そうだよ」
青山は亜希子の面影を胸に抱いたまま答えた。

「大場も故郷が心配だろう?ご両親はご健在か?」

「はい。ですが年寄りだけで田畑を守るのはずいぶん辛かろうと時々思うことがあります」
大場は自分でも驚くほど素直に胸中を言葉にしてしまった。

 この人になら本当の気持ちを明かしても大丈夫だと思った。サイダーの瓶に目を落とすと大場は一口飲んだ。

「本当にそうだろうな。大場、俺に正直に答えたからといって何も心配はいらんぞ。口には出さなかったが、死んでいった者達も思いは同じだったろう。こういう時代だから、それぞれ全力でご奉公に邁進しなければならんが、いつか戦いは終わる。終わればまた、一人一人が胸に抱く希望を追えるようになるんだから」

「少尉殿は本当に・・」
この戦争に勝てると思われますか?と続けようとした言葉を大場は唇を噛み締めて飲みこみ、恩賜の酒瓶を手に取ると空に近くなった少尉の湯呑みに静かに注いだ。

「九分九厘は無理だ」

「?」

「これほどの物量差はいかんともしがたい。パラオの後でフィリピンを落とせば、台湾や沖縄を経て敵は本土に上がろうとするだろう」

「言いかけて途中で黙っても、大場が聞きたいことはよくわかるよ」青山は微笑んだ。

「俺もそのことを繰り返し考えた。どう考えても、東西に加えて南まで、戦力の限界をはるかに超えて多過ぎる戦線を抱えているドイツにはもう勝ち目はない。わが国とソ連との条約も、独ソ間の不可侵条約があっさりとヒトラーに反古にされたように、逆に今度はいつ日本に対して奴らが裏切ってくるかわからん。ソ連は元来が信義など問題にしない共産主義者の国なんだし全く信用はならないよ」
青山は、いったん言葉を切って大場の瞳を間近に覗き込むようにした。

思いがけない上官の言葉に思わず息をのんで大場が黙っていると、青山は湯呑みを地面に置いて目をそらし、洞窟の天井を見上げながら大きく息をついた。

「しかし、ドイツも敗れ去って、もしも日本が力尽きることがあっても、押し寄せる強大な敵に必死の戦いを最後まで挑んだ若者達がいたことは必ず末永く語り継がれるよ。日本は将来また不死鳥のように絶対よみがえる。どのくらいの時間がかかるのかはわからないが、日本人の胸に民族の誇りが生き続ける限りは必ずそうなる。後に続いてくれる者達を信じよう。日本の未来を信じよう」

 青山は、半ば自らに言い聞かせるようにそう呟いた。

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