さつま通信

2011年6月15日水曜日

第8章001:オレンジビーチ - スリーデイズメイビー


 パラオ本島の司令部では逆上陸の可否が検討されていた。兵力の逐次投入は、各個撃破を招くだけであり、空と海を支配されている現状では無駄であるとの中川地区隊長からの打電もあったし、今後予想されるパラオ本島への上陸戦に備えて主力を温存しておきたいとの意向もあった。

 何よりも、人間機雷として敵の心胆を寒からしめた糸満兵達の壮絶な水上特攻以来、敵の水上艦艇群の警戒ぶりは厳重で、その中を多数の逆上陸部隊が潜入していくのは到底困難と思われた。

 しかし、地区隊の士気高揚も考え、結局は歩兵第十五連隊から一コ大隊を増援することが決定され、ペリリュー島の陣地構築支援経験があり、地形にも通じている飯田少佐率いる八百三十名の大隊に白羽の矢が立った。

 飯田大隊の佐伯忠邦中尉は満を持していた。パラオ本島で訓練に励みながらも、すぐ近くのペリリュー島で敢闘している、極寒の支那大陸で共に苦労した上官や部下達を思うと気が気ではなかったからだ。

 特に同じ幹部候補生出身の将校である青山少尉とは、学生出身同士ということもあり、自由時間には階級の差も忘れて一緒に学生へ戻ってしまうような気の置けない仲だった。

 飯田大隊編制にあたり先遣隊を命ぜられた中尉は、雨注する銃砲弾をかいくぐって絶対に上陸を果たして地区隊を救援するぞと元気いっぱいだった。

 六月初旬から一ヶ月間をペリリューでの築城支援に費やし、サイパン陥落と共に本島へ涙を呑んで引き上げたのだったが、今こそ救援隊としてあの島へ戻れるのだ。

 ペリリュー北方十キロ余りの三ッ子島には以前から舟艇基地が構築してあり、逆上陸先遣隊としての準備は完整した。あとは本島のアルミズ桟橋を勇躍出動して、本隊の先駆けとして見事に上陸を果たすのみだった。

 大発動艇五隻に小発動艇一隻、軽六隻に二百五十名を数える兵士達が砲や弾薬類を満載して乗り込み、海軍のパイロット(水先案内人)を先頭にして闇に乗じて逆上陸先遣隊の任を果たす計画だった。

 満潮時に前進し座礁を避ける。絶対に敵に捕捉されてはならない。増援が決定された以上、成功はペリリュー地区隊の士気高揚のため、持久力の増加のためにどうしても必要だった。

 失敗は許されない。

 先遣隊の士気はいやがうえにも高まるのだった。

 武器弾薬の舟艇への集積と積載や、装備点検と補修に集中する間にも、ペリリュー方面へ定期便のように殺到する敵機と、殷々と砲声を響かせる艦砲射撃は、先遣隊将兵達の胸を抉った。

 一刻も早く上陸して敵に一泡吹かせてやりたい。一人で十人を道連れにして多くの出血を強要したい。戦友達の喜ぶ顔が早く見たい。

 逸る気持ちを懸命に抑えながら、佐伯中尉率いる逆上陸先遣隊は、最後の装備点検と進入路研究に余念がなかった。

 佐伯は、敵上陸以来わが方が被ったであろう甚大な被害を思った。局地逆襲は無念にも失敗し、飛行場は敵手に落ちた。これからは、ともかくどれだけ長く持久できるかだろう。

 司令部での幹部教育で徹底されたのは、サイパンなど直近の戦訓を生かし、大規模で過早な夜襲による全滅は避けて、砲迫も空爆も敵味方が近接して使えない状況を作り出し、小人数での執拗な襲撃を反復しながら敵に執拗に出血を強要し続けることだった。

 決して金持ちの戦いではない。海からも空からも、見るべき支援はほとんど期待できないなかにあって、ほんの一時でもフィリピンへの来襲を引き延ばし、ひいては本土への上陸を可能な限り阻止するための苦肉の戦法だった。

 それしかなかった。与えられた状況がそうならば、知力、体力が続く限りは懸命に敵を倒し続けるしかない。

 まるでこれは、いつか青山に聞いたゴリアテとダビデの戦いのようだ。佐伯は、物静かな様子で、その女性的な細くて長く美しくさえある指先に煙草をくゆらせながら、旧約聖書の世界を話してくれた青山少尉の風貌を眼前によみがえらせながら思った。

 羊を追う杖と革製の投石機しか持たなかったダビデを、ペリシテ人の巨人ゴリアテは嘲笑ったのだったが、主なる神の加護を受けた青年ダビデの一撃は、敵軍が拠り頼む強大な戦士を地に這わせ、ヘブライの戦士達に勝利をもたらしたのだった。

 北米大陸の先住民であったインディアンを情け容赦なく追いつめて大虐殺し、日本との親交を願い保護を求めていたハワイの王国を狡猾に略取し、スペインに無理無体に戦争を仕掛けてフィリピンを奪い取った二十世紀のゴリアテは、その獣欲に満ちた巨大な手を東洋の灯台である大日本帝国に向けて伸ばしてきた。

 はたして、この貪婪さをほしいままにする民族差別主義者の巨人の眉間に、ダビデが放つ渾身の一撃は命中するだろうか?

 肌の色が違うだけで、人間を虫けらのように殺して恥じない奴らに思い知らせてやらなくてはならない。非情に、そして無慈悲に踏み潰されてきた人間達がどういった気持ちで累々と続く屍を悲しみの道に積み重ねてきたかをどうしても考えさせてやらねばならない。

 必要なことだ。これからも続いていく人類の歴史にとって。

 この戦争もいつかは終わるだろう。

 将来、人類がこの大戦争を振り返った時に、何百年もの長い間、人を人として扱わなかった傲慢で下劣で品性に欠ける卑しい野蛮な連中に対して、哀しみや無力感を乗り越えて渾身の勇気を振り絞って立ち向かった民族がアジアにいたことを思い出すに違いない。

 事ここに至れば、もはやそう信じて後世の観客の目を意識した振る舞いに徹するしかない。欧米列強の前に勇を振るって立ちふさがった日本がいたことは、必ず世界中で永遠に語り継がれていくはずだから。

 俺達は、今から永久の伝説になりに行く。

 青山、そうだろう?貴様もそう思うだろう?

 佐伯は、これから救援に赴く激戦の島で安否がわからない友に胸の奥でそう問いかけた。

 出撃の時が迫っていた。

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