さつま通信

2011年5月2日月曜日

第3章014:オレンジビーチ - スリーデイズメイビー

 南地区の陣地群は西海岸に上がった敵の急速な浸透が予想される地点だった。押しまくられて追い詰められれば後ろは断崖絶壁だ。近くの無名島には上陸地点を横から叩く側防砲兵が完璧な標定を済ませて陣地占領中だった。

 自動砲を指揮する朝鮮半島出身の李 卓玄少尉は大陸での勤務時代に目をかけてもらった北之口大佐の愛情が忘れられなかった。

「内鮮一体の聖旨とは裏腹に威張り散らす者がいる。困ったものだ。」開口一番、初対面の時に北之口大佐は少尉に言った。

 表情に真摯さが現れていた。大佐は少尉の家庭状況などを詳しく聞いたあとで「そうか ぜひ陸大に進んで勉強しないといかんな。近日中にまた来るように」と破顔一笑した。

 出頭すると大佐は写真班を呼び少尉と一緒に写真を撮り、次の出頭時に写真立てに入れて手渡すと「これを机に置いてしっかり勉強すること 俺は君の勉強ぶりをいつも見ているから」と慈愛に満ちたまなざしで言った。

 軍務の合間に机に向かう時、どこか父のような存在に見守られているようで少尉は嬉しく、疲れも吹き飛ぶような思いがして懸命に勉強した。時折は大佐から電話があり状況を聞かれたが、最後はいつも力強い励ましで締めくくられるのが常だった。

 少尉は戦闘中に至近距離に着弾した砲弾の破片で重傷を負った。少尉の年若い伝令兵は、自らも重傷を負いながらも少尉を担ぎ、あるいは引きずって3日の行程を包帯所まで搬送した二日後に息絶えた。担架に横たえられていた少尉を発見した大佐は「君を死なせるわけにはいかない 死なせては陛下に申し訳ない」と言い、自分の外套を担架の上からかけると内地の陸軍病院まで後送するようにとりはからってくれた。

 少尉は奇跡的に一命を取り留めてから大佐の配慮を聞かされたのだが、完治後にパラオ方面への転属命令を受けて内地を立ち、司令部に着任申告を終えた直後に北之口大佐のニューギニアでの戦死を聞かされた。

 内地で治療中の彼のもとへ届いた手紙の中で、いずれ君は大韓を背負って立つ使命を帯びていることを忘れないように。他日の独立に備えて刻苦勉励し、将来は民族の指導者となり日朝の大義に生き抜くべしと大佐は繰り返し語りかけていた。 

 他の戦場で任務に就いている半島出身者の同期には「内鮮一体なんて嘘だ!俺は天皇陛下のためには死ねない。ただ、朝鮮民族の肝っ玉を必ず日本人に見せてやる。」と複雑な胸中を密かに披瀝した者もいたが、李 少尉は併合の無念さよりも何よりも、半島出身者である自分を身を挺して救った後に息絶えた若い日本人の部下や、大佐が純粋に示してくれた民族を越えた友情と慈父のような愛情を肌身に感じ、日朝の大義に生きるという理想に最後まで邁進しようと決意していた。

 朝鮮名のまま部隊の指揮を執る高級幹部もあったし、兵士達にとってそれはなんでもない事だった。要は優れた指揮官なのかどうかが問題なのであり、命を預けられ忠誠を尽くす対象に足る人材かどうかだけだった。

 李 少尉は、あくまで職責を果たすつもりだった。北之口大佐が願った日朝の大義とは、両民族がプライドを崩さぬままで対等に融和し協調の中で共に発展していくことなのだ。今、自分は大日本帝国の軍人なのだから、任務である敵撃砕とアジアの解放にひたすら突き進むのみ。

 迷いはなかった。ここで重責を果たすことは必ず他日の大韓の雄飛に役立つし、それこそが父のように愛情を注いでくれた大佐への何よりの恩返しになるはず。

 少尉は慈愛に満ちた大佐の温顔を思い浮かべると目前に迫った修羅の時への恐怖も躊躇も雲散霧消していく気がして全身に力が漲ってくるのを感じた。

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