さつま通信

2011年5月15日日曜日

第5章003:オレンジビーチ - スリーデイズメイビー

 照明弾の青白い光を避けながら飛行場を抜けて中央高地帯へ向かう途中、友軍に刺殺されないように細心の注意を払いながら北村は慎重に歩を進めた。背には、ろ獲した照準鏡付M1ガーランドスナイパーを野太刀のように斜めに負い、懐には手榴弾数発とズボンのポケットに敵の実包を50発ほど。戦闘帽に首筋を護る和手拭いを垂らして、右手に小銃を抱えたいでたちで。

 早く友軍の歩哨線にたどり着きたい、戦闘陣地の前縁に達して友軍と合流したい一心だったが、気ばかり焦る移動の途中で、真ん中を撃ち抜かれた敵のヘルメットが多数転がっているのに出くわした。敵の遺棄死体は回収されたらしくほとんどなかったが、友軍の狙撃がこの一帯に集中したことを考えると、洞窟陣地が付近にあることは明らかだった。

 神経を研ぎ澄まして全周に注意しながら、北村は照明弾の光が辺りを照らし出すのを待った。青白い光に浮かび上がる火炎に焼け焦げた一条の線が、散乱するヘルメットから上方にまっすぐに延びているのが見えた。この延長戦上に洞窟陣地の入口があるはず。

 誰かいないか?北村は横から入口に取りつき、官姓名を低く名乗ると反応をうかがった。幾度か繰り返したが応答はない。思い切って飛び込み、ほどなく主道からそれた薄暗い横穴を見つけると体を横たえた。焼き米と水筒の水を少し、それと敵の残した雑嚢から取ったレーションを口にすると、北村は急に気が緩んでしまってすぐに初陣以来の眠りに落ちた。

 とほうもなく長い長い時が流れたような、ほんの一瞬のまどろみだったような、どちらともつかない不可思議な気持ちを抱きながら身を起こしてみると、洞窟内はうっすらと明るくなって夜はいつしか追い払われたようだった。外気よりいくぶん低い気温に汗も引き、水筒に手をやって一口含んでから北村は横穴から這いだして洞窟内に目を凝らしてみた。

 ところどころで、黒い盛り上がった物が通路をふさぐように積み重なっている。急に鼻をつき始めた何とも言えない焦げた匂いと共に、すさまじい光景が目に飛び込んできた。

 すべて焼け焦げた死体の山だった。半ば骨になっている体もあり、顔だけが焼け残って無念の表情のままで大きく目を見開いた者もいる。虚空をつかむように大きく両手を突き出したままの姿勢で動かなくなっている兵士もいた。消し炭のようになってしまった兵士の群れ。おそらくはガソリンを流し込んだうえで火炎放射器戦車で火を点けたのだろう。増加タンクが伸ばしてくるあの炎の帯の仕業かもしれない。各洞窟の入口へ向かって残る黒く焦げた線は、この灼熱の殺戮のせいだったのだ。

 昨夜自分が声をかけたのは、この死者の群れに対してだったのか。動転した気持ちを必死で静めると北村は奥へ進んで他陣地との連絡通路を探そうと思った。

 よくもやったな!みんなのために少しでも仇を取ってやるからな。吹き上げるような敵愾心が胸を熱く煽り立てた時、入口から吹き込む風に乗って話し声が聞こえたような気がした。銃を握り直すと北村は入口へと移動して外をうかがった。

 分隊規模の敵の一隊が接近中で、まるで掃討戦のような気楽さを漂わせながら、突っ立ったままの高い姿勢で広く散開もせずに狭い間隔を保って野放図に進んでくるのが見えた。

 おそらく、この一帯の洞窟陣地は昨日までに潰したと思いこんでいるのだろう。敵を高地帯へ追い上げた後の残敵狩りのつもりだなと北村は思った。

 背中の狙撃銃をはずして構えると、照準目盛りの真ん中に先頭の兵士のヘルメットを捉えた。ゆっくりと指先を絞り込むと、突然に鮮やかなバーミリオンとコバルトブルーの南の色彩がいっぱい網膜に広がり、北村は驚いて照準鏡から目を離した。

 蝶だった。

 銃口近くにいつのまにか留まった鮮やかな蝶は、すぐに北村の右肩に飛び移るとジッと動かなくなり羽を休めた。

 気を取り直してまた照準鏡を右目に当てる。ヘルメットに手をやって少し被りなおした敵兵の眉を捉えた瞬間に、耳元で「ガク引きにならないようにしてくださいよ」という香月上等兵の力強く優しい声が聞こえたような気がした。

 やっぱり来てくれたんだね ありがとう 北村は胸にそう呟くと落ち着いて引き金を落とした。初めて射撃教育を受けた時のように、水鳥が着水するような静かさを保って、敵の狙撃銃を発射した。

 照準鏡の中で敵はゆっくりとくずおれて前のめりに倒れた。いっせいに叫び声が上がり、伏せた敵達からのめくらめっぽうの射撃が始まった。

 後ずさりした北村は、累々と横たわる無惨な友軍に別れを告げて連絡通路を求めて奥へと走り込んだ。暗い岩肌を見つめながら懸命に進む。入口付近で手榴弾らしき爆発音と喊声が数回したが気にも留めず、やっと見つけた通路をひたすらに進んだ。

 次第に死臭が薄れ、敵の気配も遠ざかっていく。奴らは絶対に深追いをしてこない。せいぜい入口をドーザーか戦車を使って土砂で埋めるぐらいだ。

 蝶はいつのまにかいなくなっていた。歩みを早めながら、北村は香月の声を思い出していた。本当にありがとう また会いたいよ 香月上等兵。聞いてもらいたいこと 聞きたいこと たくさんあるんだ。さっきはありがとう。あの時、敵は迫ってくるのに、僕はどこか物悲しい気持ちにとらわれようとしてた。あんなに敵愾心に燃えていたのに、今、僕が撃とうとしているあいつは、戦友を黒焦げにしたやつじゃないんだなんて馬鹿な考えにつかまろうとしていたんだよ。

 迷ったり、ためらったりしている場合じゃないのに。これは僕の弱さだろうか?しっかりしないといけないね。敵もまた、たぶんなんのためらいもなく任務に邁進してるんだから。

 揺るぎない自信に満ちた平素の香月の表情を北村は思い浮かべて自分に活を入れようとした。自分は将校になるんだから、どんなすさまじい状況下に置かれても、動揺したりグラついたら駄目だ。もっと成長しないと香月上等兵のような素晴らしい部下達を引っ張ってはいけないぞ。

 北村は前方から洩れ聞こえてくる微かな日本語に耳を澄ませた。むごたらしい激戦をかいくぐって、彼は主陣地帯の一角に合流することに成功したのだった。

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