さつま通信

2011年5月15日日曜日

第5章002:オレンジビーチ - スリーデイズメイビー

 北村士官候補生にとっての初陣である西海岸での激戦は、無我夢中のうちに津波のように過ぎ去っていった。

 撃ち、伏せ、走り、投げ、また走った。ぶつかった敵兵から奪い取った自動小銃を逆手に持つと力一杯に敵のこめかみを銃床で殴りつけ、金的を思い切り蹴り上げた。必死で投げつけた自分の小銃が敵の背中に突き刺さって抜けなくなってしまうと、北村は倒れている味方の小銃を拾い上げて懸命に撃った。乱戦で誰が誰やらわからなかったが、ともかく大きな人影で迷彩服を着ている者が視野に入ったら攻撃した。香月上等兵とは喊声を上げながら敵味方がぶつかった最初の段階ではぐれてしまい、あとはもう、混乱と阿鼻叫喚の中で狂熱がすべてを支配し始めて、焼け爛れるような憎悪と憤激が激しく渦巻いて荒れ狂った。

 乱戦から逃れてとっさに飛び込んだ砲弾穴で、北村は先に入っていた敵兵と鉢合わせしてしまった。ヘルメットの下の青い瞳を見るとすぐに肘打ちを入れ、左腕を首に巻き付けて必死に締め上げると脇腹に拳銃を押し当てて夢中で射った。

 首に巻かれた腕を振りほどこうと暴れていた敵の体から急に力が抜けてきて、北村は恐怖のあまりさらに強く首を締め上げた。

 敵が崩れ落ちてヘルメットが転がると、輝くようなあどけなさを残した若者の顔が現れた。周囲を飛び交う銃声はすさまじく、キャタピラ音や手榴弾が爆発する音、叫び声が入り交じって砲弾穴から飛び出す機会がなかなか得られないまま、北村は生まれて初めて自分の腕の中で命を奪った人間と長い時間を過ごすことになった。

 軍服に染み込んだ血の匂いが鼻をつく。北村は敵の体を押しやって横を向かせて顔が見えないようにした。学生時代に読んだ「西部戦線異状なし」の主人公 パウル君のように、自分が殺した相手のことが長く胸に刻みつけられるのは嫌だった。

 香月上等兵は生きているだろうか?古参の彼のことだ。なんとかして生き残っているに違いない。彼に今日のことを話したらなんと言うだろう?あの西海岸で最初の一発を撃ってからあとのことは、正直よく覚えていない。自分が何をどう操作し、誰の前を走り、何人の敵とわたりあい、どこをどう走ってここへたどり着いたのかもわからない。

 実戦とはこういうものだったのか。敵はなんと惜しげもなく弾を使うことだろう。知識としてはある程度知ってはいたが、実際に噴水のような弾丸に射すくめられてみると、彼我の物量の差を嫌というほど肌身に感じさせられた。肩撃ち式の対戦車砲まで持っていたし、軽快な車両に積んだ無反動砲らしき物も見た。あれではわが戦車隊がまったく歯が立たなかったのは無理もない。

 心なしか飛び交う銃声が遠のいていく気がして、エンジン音もしなくなったように感じた。北村は敵の突撃に追い越された場合は戦死者を装うことにして神経をなるべく張りつめておこうとしたが、長時間耐え抜いた緊張からか、暑さを打ち負かすような強烈な眠気と戦わねばならなかった。

 幾度かたまらず瞼が閉じようとするのに必死で抗って、北村は周囲の戦闘の気配が去るのを待ち続けた。

 いつしか照明弾が打ち上げられ、青白い光が戦場を照らし出し始めて、北村は夜が訪れたことを知った。

 飛行場を離れ、中央高地帯の地区隊陣地群寄りへ自分が位置しているのではないかと思いながら、タコツボへ座ったままでポケットを探ったが作戦図もなく、かといって周囲の状況がまだ不明のままでは不用意に立ち上がるわけにもいかず、返り血がこびりついた軍服の上から、彼はまず急いで外傷の有無を調べた。特に痛む箇所はないし出血もないようだった。

 安心して少し落ち着いてくると、気温がいくぶん下がり始めたのがわかった。照明弾の合間に南の星々が輝き始めているのが見える。銃声がまったく途絶え、敵は、大嫌いな「夜の日本軍」に備えて陣地に入り、防御を固め始めた様子だった。

 南十字星を探そう・・・北村は思った。あの強い輝きを見たい、早く見たい。地に足がつかなかった初陣を無事に終えた今、北村は無性に人恋しくなっていた。原所属部隊にはいつ復帰できるのだろう?あの激戦で全滅したのかもしれないけれど、上官だろうが部下だろうが、ともかく友軍の姿を見たいと思った。

 無心に南十字星を探していると、敵の上陸前に全島民をパラオ本島へ避難させた際の情景が眼前にありありとよみがえってきた。

 毎日の陣地構築に疲れ切った体をキビキビと動かして、老人や女子供を優しくいたわりながら舟艇へ乗り込ませていたわが軍の兵士達。北村はその指揮に当たりながら、心の底から国軍の一員であることを誇らしく思った。陣地構築に共に汗を流した島の男達と、にこやかに最後の言葉を交わしていた精強な部下の下士官達の爽やかな横顔も浮かんだ。

 混血の娘 アロウの澄み切った瞳もまた鮮やかに浮かんだ。

 美しい波打つような長い髪をビーチを吹き抜ける夜風になびかせながら、彼女が大きな瞳から流した涙を思い出しながら、北村はアロウがくれたお守りの白い貝の首飾りをそっと指で押さえてみた。

 アロウ 日本はね、アロウ達を守り抜くためにも戦っているんだよ。広大な支那大陸からアジアにかけて、白人達を追い払って有色人種を植民地の奴隷から解き放つ戦いを、日本はたいへんな決心をして引き起こしたんだ。アジアで唯一国、俺の祖国だけが白人達に牙を剥くことができたから、みんなのために立ち上がらなければならなかったんだよ。

 アロウ 君が大人になったら日本のことをみんなに伝えてくれ。

 海に空に陸に、日本が渾身の勇気と陛下への忠誠を振り絞って戦ったことを。祖国が高く掲げた理想に捧げられた、多くのかけがえのない人生で書き記された民族の物語を。

 君を見ていると故郷の妹を思い出したよ。本当はもう少しゆっくりと話してみたかった。

 強くて優しかった日本軍の物語は、この島に語り継がれていくんだろうか?いずれアロウがおかあさんになった時には、勇敢に最後までアメリカ軍と戦い抜いた日本軍兵士達の物語を子供達に聞かせてね。

 南十字星の輝きが増し始めたのを北村の瞳が捉えた。主力はどこだろう?中央高地の陣地帯へ急がなければならない。砲弾穴から思い切って僅かに顔を覗かせて周囲をうかがうと、点在する戦死者の群れが目に入った他は何の気配もしなかった。

 敵味方の会話も、武器がふれあう音も、秘かな息づかいもない。吹き渡ってくる南の風は、もう何ひとつ物音を運んではこなかった。

 おおよその方角の見当を付けて砲弾穴から出ようとする時に、目前にうずくまる若者の前に彼のライフルを突き刺し、拾い上げたヘルメットを銃床に被せて北村は目礼した。

 「また会おう 今度は戦場以外で」そう呟くと、北村は砲弾穴から這いだした。

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