さつま通信

2011年5月7日土曜日

第4章001:オレンジビーチ - スリーデイズメイビー


 昭和19年9月15日の夜が明けた。

 島を取り巻く艦船群の動きが慌ただしくなり起重機で海面に降ろされた上陸用大型舟艇のエンジンが轟き始めて殉国の闘志を燃やす群馬健児の氏家大尉が守備する西海岸へも轟音が風に乗って運ばれてきた。

 米軍艦船では従軍牧師による祈祷が行われていた。

 「世界の平和のために戦う勇士の皆さんの上に神のご加護がありますように。豊かな恵みのうちにあって皆さん一人一人が主の御手に抱かれて守られ、万が一、天に召されることがありましても溢れる慈しみの中で大いなる憩いにつけますように・・・」

 艦砲射撃が始まり、地区隊兵士達はすさまじい轟音と飛び散る破片に顔も上げられなくなった。ものすごい物量だ 十重二十重に島を取り囲むのは敵艦船ばかり、豪華な病院船まで4隻も浮かべて準備を整えながら、敵は有り余る砲弾をスコールのように叩き込んでくる。

 祈祷が終わると船上のスピーカーから流れる牧師の声に耳を傾けていた海兵達は縄梯子を伝って舟艇へと乗り込み始めた。ペリリューは砲撃の煙にかすんでよく見えない。これほど爆撃の雨を降らせ、艦砲を叩き込んできたのだから日本軍はほとんど生きていないかもしれない。海兵達の多くは三日もあれば戦闘は終わるはずだと自らに言い聞かせながら揺れる舟艇の上で気持ちを落ち着かせようとしていた。メイビースリーデイズ!すぐに終わるさ。

 水陸両用装甲車に移乗しようとした海兵第一連隊長ルイス プラー大佐に艦長が声をかけた。

「大佐 この作戦じゃ体がなまってしょうがないんじゃないか?」「どうしてだい?」大佐は短く不機嫌に応じた。

「これだけ念入りに上陸準備の砲爆撃をやってきたんだ。日本兵はもうほとんど生きちゃいないよ。大佐に残されてるのは敗残兵狩りくらいでしょう?」

「そうかもしれないな」大佐はやや苦笑しながら答えた。彼は日本軍のすさまじい闘志と勇気をこれまでじゅうぶん身をもって味わってきた軍人だったが、サイパンでのように水際での戦闘からお定まりの夜襲、そして最後にバンザイ突撃という日本軍の全滅パターンは心のどこかに刻まれていた。

 今度もたぶん同じだろう。ガダルカナルやニューブリテンを陥落させてきた勇猛なわが第一海兵師団の前に、敵は木っ端微塵に粉砕され僅かな抵抗の後に全滅するだろう。多少は手こずるにしても。

 大佐は信頼する部下達に目をやりながらそう思った。

 西海岸から2000メートル沖合で停止した舟艇群は300隻もの水陸両用装甲車を吐き出すと横広に隊形を整え始めた。海は白く泡立ち、吼えるエンジン音と空を引き裂く艦砲射撃の音は南洋の小さな島を包み込みながら一気に押し潰してしまうかのように思われた。

 一気に海浜に殺到すべく第一波がリーフを超えようとした刹那、すさまじい轟音と共に水柱が上がって何隻かが吹き飛び、死者達が海面を漂い始めた。

 この凄惨な光景が広がると、報告を受けた艦船群はすぐに煙弾を多数海岸陣地に打ち込み守備隊を盲目とするために昼を夜に変えてしまった。

 ちぎれた胴体と頭が漂う珊瑚礁の海は喘ぐように揺れている。

 生き残った多数の舟艇は岸をめがけて突進してきた。海浜へあと百メートルほどの線まで達した時に、高射機関砲を含めた日本軍の全火器が一斉に火を吹いた。撃ちすくめられた海兵達はもんどりうって海中に落ちる。上陸地点付近にだけは、アメリカご自慢の艦砲も豪雨のような弾幕を友軍の上に直接被せることはできない。待ちに待った射撃命令を受けてこれまでの溜飲を一気に下げるかのように海岸付近陣地一帯の日本軍全火器は猛り狂った。

 西海岸側方の無名小島に配置されて、入念な事前位置評定を終えていた砲兵も一斉に砲門を開いて正確な砲弾を敵の真ん中に叩き込んだ。おかげで車両は北へ北へと蝟集するようになり、そこをまた直射弾道火器の集中射撃を浴びて犠牲が続出したのだった。

 高射砲もまた、水平射撃を果敢に繰り返して装甲車両を空へ吹き上げていた。重量を物ともせずに揚陸して陣地に据え付けた砲に思う存分の働きをさせようと、砲側の兵士達は闘志を燃え上がらせてアメリカの圧倒的な物量に挑んだ。

 沖合から確認できる発火点へアメリカ艦船は巨弾を懸命に送り込む。堅固に構築された砲兵陣地も各火点も次第に潰されてはいったが、がっぷりと両者が組んだ形の浜辺では近距離を高密度で射弾が飛び交い、炎暑の海浜は瞬く間に血なまぐさい修羅場と化していった。

 僅かに頭も上げられない状況で海兵の通信手は必死に沖合艦船へ水と増援を求め続けたが、たちまち肩の無線機に数発の小銃弾が当たって鋭い音を立てると彼は顔を砂に埋めて動かなくなった。

 大きく掘ってあった対戦車壕の前に1000名ほどの敵が蝟集しているのを確認した氏家大尉は有線電話を使おうとしたが砲爆撃で断線されて通じない。伝令を出そうにも降り注ぐ銃弾に思うに任せない。1頭放った軍用犬も途中で倒れたらしく友軍の砲撃はない。もう1頭残っていた軍用犬を最後の手段として祈るような気持ちで送り出し、シェパードが懸命に駆けていく後姿を見送った。高地帯の天山の砲兵陣地へ着いてくれさえすれば集中射をお見舞いしてやることができる。

 時折の強い風が吹き払う煙弾の煙をかいくぐるようにして射撃戦を続けているうちに、シュルシュルと飛来音がして百雷一時に轟くような弾着音が臓物を揺さぶるように耳をつんざいた。思わず射撃の手を止めた氏家大尉以下の兵士達が急に静かになった対戦車壕へ目を凝らすと、ちぎれた敵の四肢がそこかしこに飛び散り、水陸両用車は全部破壊されて凄惨な様子で敵はほぼ全滅していた。

 他陣地は!大尉は思った。飛行場を護らなければならない 陣地の間隙に浸透されたら飛行場の一角に取り付かれてしまう。そう思いつつ群がる敵兵めがけて射撃を集中していると、沖合艦船は正確な射弾を高地帯の天山砲兵陣地へ送り込んできた。

 揚陸された敵戦車に対して青山少尉指揮の速射砲も激しい射撃を浴びせかけていた。落ちてくる煙弾によって視界を時折奪われながらも、見え隠れする戦車のキャタピラを狙って砲撃を集中する。キャタピラが切れて動けなくなった戦車のハッチが開くと随伴してきた海兵達が脱出する戦車兵を援護しようと自動小銃を乱射する。そこへ八方から手榴弾が投げられて戦車周辺の海兵達をなぎ倒した。

 敵味方の兵士達が流す血潮でオレンジ色に染まったビーチは彼我近接した激戦場となり、沖合艦船や航空機からの砲爆撃のシャワーは海岸線の奥地に射程延伸されていた。

 腕が、首が、足が、波打際に打ち上げられてくる。鮮やかなオレンジ色は無慈悲にビーチを染め上げていき、砂浜に張り付いて顔も上げられないでいる海兵達に、近距離からの正確無比な銃砲弾が次々と命中した。

 血なまぐさい風がビーチを渦巻きながら流れ始めている。途切れることのない銃撃や砲撃の音に、敵味方の叫び声や悲鳴が入り交じって南の楽園は瞬く間に地獄絵図と化していった。

 日本軍の各砲は砲身が真っ赤に焼けるまで撃ちまくった。海水を砲身にかけて冷やし、あるいは濡らした軍服を巻き付けたりしながら必死の砲撃を続ける。地点評定を事前にじゅうぶんに実施した成果で命中率は高く、吹き上げられ四散する敵兵や車両が続出して海兵は甚大な損害を被った。

 それでも雨注する銃砲弾を物ともせずに大量の鉄板の揚陸が始まった。戦車や装軌車の走る道を造るべく大量に持ち込まれる戦場の道。内陸への進撃に障害となる断崖も艦砲で撃ち崩されて見る間に平地となっていく。すさまじい物量と機械力の差を見せつける敵に対して、守備隊将兵は海岸陣地付近での必死の肉薄攻撃を繰り返した。

 棒地雷を抱いた兵士が水陸両用車のキャタピラの下に身を投げ出して粉微塵に吹き飛んだ。動けなくなった車両から海兵が飛び出して自動小銃を乱射する。やおらタコ壺から飛び出した兵士が銃剣で海兵を刺し、引き抜くと力任せに横に小銃を払って隣の海兵の首筋を斬った。

 後ろから海兵の太い首に片腕を巻き付けた兵士が脇腹に銃剣を柄まで突き通して共に倒れると、次の瞬間に戦車からの機銃掃射を受けて動かなくなった。

 無名小島の砲兵は間断ない砲撃を続けていた。艦砲の至近弾は受けたが、西海岸へ送り込む砲弾は小気味よいほどによく命中し、揚陸された資財と海兵を叩き続けた。

 青山少尉の速射砲は砲身が焼けてきた。砲側の兵士達も多くが倒され砲の操作を続ける要員が不足し始めていたが、大場伍長を始め生き残りの兵士達は懸命に砲身を冷却しながら撃ち続けた。

 日本軍のタコ壺とタコ壺の間隙に続々と浸透してくる海兵は、戦車と水陸両用車を先頭に自動小銃を乱射しながら喊声をあげて突進してくる。

 シャワーのように浴びせられる銃弾の威力はもの凄かったが、地区隊兵士達はボルトアクションの単発式小銃でよく応戦しながら白兵戦の機会を狙った。

 砂塵を巻き上げながら駆けてきた海兵がタコ壺にもんどりうって落ちると見る間にスコップで首筋を切り裂かれた。奪い取った自動小銃で後続の海兵を撃ちまくると左右のタコ壺からは手榴弾が飛んだ。血を吹き上げる海兵から弾薬と手榴弾をはぎ取ると、若い兵士は撃ち尽くした自分の小銃を捨てて海兵の自動小銃を手にタコ壺から飛び出した。

 艦砲が撃ち込んでくる煙弾で昼は夜に変えられたように薄暗く、風が煙を吹き払った瞬間に垣間見える影を瞬時に識別して撃ち、走り、伏せる。艦砲が収まると間もなく爆音が頭上に轟き、敵飛行機が爆撃にやってきてナパームや爆弾を思うままにばらまいた。

 炎の帯が長く伸びていき悪魔の舌に覆われた兵士達を酸欠死させていく。炎で焼け死ぬのではなく炎が酸素を食い尽くしてしまい息ができなくなるのだ。身を隠す緑と兵士を一度に焼き払ってしまう、むごたらしいナパーム弾をアメリカはふんだんにばらまいた。対空火器は艦砲でほとんど全滅させられてしまい、この悪魔の鳥達を空から叩き落とす術は日本軍にはもうほとんど残っていなかった。

 青山少尉は硝煙と人間が焼ける臭いが漂う中、誰かが振り絞るような声で「畜生 畜生」と叫ぶのを聞いたように思った。砲側は死体の山となり、残弾は無くなり、先ほどから近くに落とされる爆弾の破片で多くの部下達が傷つき倒れてしまった。連続する轟音で聞こえにくくなった耳に微かに響く、接近してくる戦車のキャタピラ音で我に返った少尉は、敵機を支えていた空に今まで叫んでいたのは自分だったことに気づいた。

 生き残った僅かな部下を素早く掌握して拳銃を握りしめると、飛行場を守備する友軍部隊と合流して歩兵としての戦闘を続行しようと少尉は決心した。無線機は破壊され大隊長と交信する方法はなく伝令を出すこともこの状況ではもちろん不可能、砲が使えなくなった今、有力な部隊と共に少しでも長く敵に出血を強要し続けることが重要だと少尉は判断したのだった。

「戦車をやり過ごして夜を待て」

「動くな 夜を待て 飛行場の部隊と合流する」少尉は低く鋭く繰り返した。

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